広場、駅、空港、商店街、デパート、スーパーマーケット、テ一マパーク、病院、学校など、私たちが普段接しているパブリックスペースには、さまざまな音や音楽が存在します。人々の話し声や雑踏、車や電車の音の他に、インフォメーションや空間を演出するための BGM など、その種類は多岐にわたります。
「音」という要素は、空間の見た目や機能に比べると見落とされがちです。しかし、音は無意識のうちに人々の気分や行動に影響を及ぼすという意味で、空間のデザインにとって大切な要素の 1 つです。
この記事では、メキシコシティの公園チャプルテペック内にある音楽空間「Audiorama(アウディオラマ)」を事例に、パブリックスペースと音のデザインについて考察します。
ぶらりと立ち寄り音楽でくつろぐ隠れ家スペース
木々に囲まれた秘密基地のような空間に、カラフルなベンチが並べられている
「Audiorama」では、曜日によって違った音楽が気軽に楽しめる。チケットも予約もいらず、単にふらりと足を運ぶだけで良い。
ラテンアメリカ最大級の公園であるチャプルテペック。その面積は 686ha にも及び、週末は地元民でにぎわいます。「森」と言われるだけあって、湖や多くの木々が生い茂る自然豊かな森林型公園となっていますが、美術館や歴史的モニュメント、国内唯一のお城まで、全てが詰め込まれたメキシコシティのランドマーク的存在です。
このチャプルテペックに、屋外にいながら本格的な音楽を楽しめる「Audiorama」という小さな空間が存在します。
広大なチャプルテペックの一角に、隠れ家のようにひっそりと佇むこの空間は、市民誰もがリラックスできる場所となることを目的に、当時のメキシコ政府によって 1972 年に建設されました。Audiorama 内に「Cavern of Cincalco」という洞窟があり、ここがスペインのメキシコ侵略以前から原住民によって神聖な場所とされていたことが、パブリックスペースをつくるきっかけとなったようです。現在はチャプルテペックの公園の一角として、メキシコ市が運営しています。
木々に囲われたコンパクトな空間は、まさに公園の中の公園。カラフルなベンチがいくつか置かれ、それを囲うように屋外用スピーカーが何台か設置されています。このスピーカーから、丁寧にキュレーションされた音楽が常に流されており、良い音響で市民が気軽に音楽を楽しめるスペースになっています。
午前 9 時から午後 4 時までの間であれば誰でも自由に出入りができるうえ、Audiorama 内部なら自由に借りて読める本まで完備されています。音楽の種類は曜日によって決まっており、ジャズやクラシック、メキシカンミュージックまで様々なジャンルを楽しめます。
無料で本の貸し出しも。
ベンチに腰を下ろすと、音楽と合わせて Audiorama を囲む木々のせせらぎが聞こえます。広大なチャプルテペック公園ですが、周囲は大きな高速道路に囲まれており、車の騒音が耳につく場所もあります。しかし Audiorama の中では木々で囲まれた秘密基地のような構造とスピーカーから流れてくる音楽のせいか、そんな車の音も全く気になりません。加えて内部ではおしゃべり禁止。立ち寄る人々が音楽に集中し、読書や瞑想を楽しめる仕掛けになっています。
都市の中心にいながらもまるで山奥に来たかのように静かな環境で音楽を楽しむことができ、車の騒音を遮る形で自然の音にも耳を澄ませられるよう工夫されています。また、様々なジャンルの厳選された音楽が流されていることで、自身の好みに合わせて通い、新しい音楽を発見することもできます。
空間デザインに必要なサウンドスケープという考え方
空間の設計に「音をデザインする」という考えが芽生え始めたのは、1960 年代後半に現代音楽作曲家であるマリー・シェファーが提唱した「サウンドスケープ」という考え方が最初と言われています。サウンドスケープは「音」という要素を生活や社会、風景との関連において捉える考え方で、「音風景」、「音景」などと訳されます。空間設計において、機能面や視覚的要素だけではなく、その場所がどう聞こえるか?というサウンドスケープデザインも考慮することが大切です。
一方、日本のパブリックスペースは雑多な音で満ちあふれています。車の騒音に始まり、考えのない BGM の使用や公共アナウンス、周囲の店舗から流れてくる音楽など、常に様々な音で溢れかえっています。例えばヨーロッパの都市を旅行したことがある方は、日本と比べて都心の雑音が少ないことに気づいたことがあるかもしれません。公共空間における音環境デザインは、日本ではまだ未開拓の分野とも言われています。
サウンドスケープのデザイン手法の一つとして、「音のゾーニング」という考え方があります。公共空間における利用者の導線を考慮し、商業空間、駅のプラットフォームなどでの、移動や滞留といった人々の行動に合わせて、「音」のあり方を工夫する考え方です。
音楽と木々のせせらぎに集中できる「Audiorama」は、最高の瞑想空間。写真に写っている黒いスピーカーが、空間をぐるりと囲うように何台も立っている。
前述のマリー・シェーファーは、一つひとつの音がクリアに聞こえる「ハイファイなサウンドスケープ」と、車や工事の騒音や店舗から流れる BGM など、ある特定の音が支配的になり他の音が聞こえない状態を指す「ローファイなサウンドスケープ」の 2 種類の音環境のあり方を提唱しています。Audiorama は、オープンスペースに最適な「ハイファイなサウンドスケープ」を提供することで音を上手くゾーニングし、リラックスしてくつろげる空間づくりを実現しています。
雑然とした音が非常に多い日本の都市空間で、人々の使い方や気分を左右するサウンドスケープを上手くデザインすることは、見た目のデザインや機能性だけでは達成できない「心地よさ」や「居心地のよさ」に貢献するのではないでしょうか。そんなことを考えさせられた Audiorama でした。「ソト」好きの人、メキシコシティを訪れる際は、ぜひお立ち寄りください!
岩や木々など、自然で出来た洞穴のような構造も、音楽を楽しむのにぴったりな音環境をつくるのに貢献している。
「ソト」好きな人は必ず訪れたいメキシコシティのパブリックスペース。
ソトノバから転載