ローマに滞在していた時のこと。猛暑のなか、街中に散らばる古代遺跡を訪ね歩き、最終的に、「古代もの」に若干うんざりしてしまった。古代ローマ帝国時代の建築と都市計画を全面的に売りにするのは良いとして、現代都市としてのローマの新しい機能や実践については、ベールに包まれたままな気がしたのだ。
そんな折、政治地理学を専門とする地元の友人に、市内に興味深い地区があることを聞いた。歴史的遺産が集まるローマの中心地から、電車で南西部へ30分ほどの距離にある、EUR(日本語では、エウルと発音するらしい)。ローマ近郊に1930年代から建設された新都心で、ある意味「ローマで最も悪名高い」地区だという。
EUR (Esposizione Universale Roma)は、1942年に開催予定であったローマ万国博覧会のために、1935年に建設が始まった。指揮をとったのは、ファシスト党の党首であった、かの有名なベニート・ムッソリーニだ。
万国博覧会では、イタリアの20年間にわたるファシズム政権を讃え、その権力を誇示する予定であったが、第二次世界対戦のため中止となる。EUR地区も、未完成のまま放置されることになった。
再びこの地区の開発が始まったのは、戦後のこと。中心街からは少し離れた、新しい行政とビジネスの基盤として再開発され、1950年代から1960年代の間に、未完成のまま残されていたファシスト時代の建物が完成。近代的なオフィスビルやマンションなども、追って建設された。「悪名高い」と言われているのは、今でもこのエリアが、ファシズム建築の面影を色濃く残しているからである。
市内から電車でEURに向かった私たちは、旧市街とは比べものにならない車道の広さと車の量に圧倒された(因みにローマ中心部も、車の交通量が多いことで批判を受けている)。イタリアの都市の多くは、旧市街地での車の使用が規制されていることが多く、コンパクトで中世的な街並みが魅力的だ。EURは、まさにその真逆。高層ビルも建ち並び、街全体のスケールが、横にも縦にも何倍にも大きいといった印象だ。スケールが大きいうえに信号や歩道が少なく、歩行者向けにデザインされた街ではないなと感じた。
EUR地区は、中央を走る大通りを軸に、完璧に左右対象に設計されている。官公庁やオフィスの他、博物館や公園、スポーツ施設や集合住宅、商業施設など、現代都市に必要なインフラは、あらかた揃っているという印象だ。
広大な中央公園から歩き始め、Palazzo della Civiltà Italianaなど、いくつか有名なファシズム建築を訪ねた。1928年から1938年にかけてエンリコ=デル=デッビオ、ルイジ=モレッティの設計で建造された、複合スポーツ施設のフォロ・イタリコ(建造当初はフォロムッソリーニと呼ばれていた)ほか、「現代のパンテオン」とも呼ばれるイタリア合理主義建築のリーベラの会議場など。これらのファシズム建築は、新古典主義とイタリア合理主義を掛け合わせたスタイルで作られている。大理石など、古典建築に典型的な素材が用いられ、ローマ帝国を彷彿とさせる建築物が多い。
そもそもファシズム建築を楽しむのは何だか気がひけるが、それ以上に、①「新都心」と言う割に、新古典主義とイタリア合理主義の折衷的な街並みが、ローマ帝国の栄光へのノスタルジーと模倣から、やはり越え出ていないこと、②戦後の車中心的な再開発が、「現代都市としてのローマ」として物足りなく、少し残念だった。
人間のサイズを超えた、独特でシュールな地区、EUR。
街歩きが好きで、建築や都市計画に興味がある人がローマを訪れた際は、ぜひ。